特別出品!中村半次郎所持刀!保存刀剣鑑定書付!人斬り半次郎・幕末の最強剣士「盛定・中村半次郎利秋所佩之」陸軍小将・示現流・拵え付の落札結果
中古


特別出品!中村半次郎所持刀!保存刀剣鑑定書付!人斬り半次郎・幕末の最強剣士「盛定・中村半次郎利秋所佩之」陸軍小将・示現流・拵え付の商品画像

特別出品!中村半次郎所持刀!保存刀剣鑑定書付!人斬り半次郎・幕末の最強剣士「盛定・中村半次郎利秋所佩之」陸軍小将・示現流・拵え付の画像1
特別出品!中村半次郎所持刀!保存刀剣鑑定書付!人斬り半次郎・幕末の最強剣士「盛定・中村半次郎利秋所佩之」陸軍小将・示現流・拵え付の画像2
特別出品!中村半次郎所持刀!保存刀剣鑑定書付!人斬り半次郎・幕末の最強剣士「盛定・中村半次郎利秋所佩之」陸軍小将・示現流・拵え付の画像3
特別出品!中村半次郎所持刀!保存刀剣鑑定書付!人斬り半次郎・幕末の最強剣士「盛定・中村半次郎利秋所佩之」陸軍小将・示現流・拵え付の画像4

特別出品!中村半次郎所持刀!保存刀剣鑑定書付!人斬り半次郎・幕末の最強剣士「盛定・中村半次郎利秋所佩之」陸軍小将・示現流・拵え付の画像1
特別出品!中村半次郎所持刀!保存刀剣鑑定書付!人斬り半次郎・幕末の最強剣士「盛定・中村半次郎利秋所佩之」陸軍小将・示現流・拵え付の画像2
特別出品!中村半次郎所持刀!保存刀剣鑑定書付!人斬り半次郎・幕末の最強剣士「盛定・中村半次郎利秋所佩之」陸軍小将・示現流・拵え付の画像3
特別出品!中村半次郎所持刀!保存刀剣鑑定書付!人斬り半次郎・幕末の最強剣士「盛定・中村半次郎利秋所佩之」陸軍小将・示現流・拵え付の画像4

特別出品!中村半次郎所持刀!保存刀剣鑑定書付!人斬り半次郎・幕末の最強剣士「盛定・中村半次郎利秋所佩之」陸軍小将・示現流・拵え付の商品説明

xvpbvx

 

 

 

 

 

出品物


ご覧いただきありがとうございます。今回出品する品物は、写真の刀です。

銃砲刀剣類登録証番号 大阪 第53261号

種別  刀
長さ   68.6センチ
反り    0.8センチ
目くぎ穴     3個


元幅約3.0センチ 元重約0.8センチ
先幅約2.2センチ

刀身の重量約830グラム

銘 盛定
  中村半次郎利秋所佩之
  元長貮尺六寸五分刀主依命藤原清平上之
 
大変珍しい「中村半次郎」所持刀の名刀です。保存鑑定付きの御刀です。

白鞘と拵え付きで、拵えは黒塗り鞘に小尻金具が付き縁頭は赤銅片切彫の雲龍図です。
鍔は在銘品の「大和住家次作」で銅地の恵比寿大国透かし彫りです。拵えの鞘は多少のガタツキ
はありますが、気品ある拵えです。
刀身は、在銘品の盛定で豊後高田の古刀です。平高田一派は南北朝時代から室町時代の刀工で、
切れ味の評価が高い実戦刀です。

裏銘には「中村半次郎利秋所佩之・元長貮尺六寸五分刀主依命藤原清平上之」とあり、中村半次郎
の所持刀で、元の長さは二尺六寸五分もある豪壮刀だった刀を刀主(刀の持ち主)の命令により、
藤原清平が磨り上げたとされる。とのことです。

中村半次郎の所持刀は他にも残されていますが、特徴は長寸(長い刀)で反りの少ないのが特徴
です。そしてなにより切れ味のいい刀が特徴です。
その刀を磨り上げたので、おそらく明治期になり軍刀やサーベル型拵えに入れるのに磨り上げたのだと
思います。中村半次郎は将官までなっています。

刀身は大乱れの豪壮刀で、身幅や重ねがあり重量感があります。板目肌や杢目肌が入り乱れる肌物の
名刀で、もちろん刃こぼれや刃切れや錆はありません。ずっしりとした刀身ですので、振り下すだけで
切れそうな刀です。
幕末(江戸後期)の最強剣士の刀ですので、文化財級の御刀です。二度と出ない名刀ですので、
よろしくお願いいたします。


桐野利秋(中村半次郎)は幕末最強剣士

桐野 利秋(きりの としあき、天保9年12月2日(1839年1月16日) - 明治10年(1877年)9月24日)
は、日本の武士(薩摩藩士)、陸軍軍人(小将)
諱は利秋、通称は半次郎、桐野に復姓後は信作(晋作、新作)。初め中村 半次郎(なかむら はん
じろう)と称した。


生誕1839年1月16日
薩摩藩(薩摩国・鹿児島郡鹿児島近在吉野村実方)
死没1877年9月24日(38歳没)
日本の旗 日本・鹿児島県・鹿児島市
所属組織 大日本帝国陸軍
軍歴1871年 - 1873年
最終階級 陸軍少将
除隊後西南戦争にて戦死
墓所南洲墓地


「人斬り半次郎」の異名の薩摩藩最強の武士がいました。
中村半次郎(のちに桐野利秋)です。
その男は同郷の英雄西郷隆盛を慕い、西郷隆盛と生き、そして共にこの世を去ります。

中村半次郎は薩摩藩の下級武士として生まれました。
下級武士といっても西郷隆盛の家などよりもはるかに貧しい家でした。

幼少期に父を亡くして家禄をとられ、兄も病死します。半次郎は家族を支えなければなら
ないようになります。
武士とはいっても農家をしないといけない生活でした。他人の畑の手伝いをしながら、そ
れでもその日暮らしという、まさに極貧の生活でした。
しかし、そのような生活でも中村半次郎は武士としての誇りや志を失わず、剣を磨き続けます。
少年時代の中村半次郎は、この横木打ちをひたすら繰り返しました。
半次郎だけではなく、薩摩藩の武士はこの練習をします。
当時全国でもトップクラスの武力を持っていたのが薩摩藩です。
薬丸自顕流といった薩摩独自の剣術です。中村半次郎もこの剣を磨き続けました。
とりわけ貧しく、しかし練習熱心だった半次郎の腕は見る見るうちに高くなり、その腕は新選
組局長近藤勇が認めるほどであったといいます。

中村半次郎は「人斬り半次郎」と呼ばれ、後に幕末の四大人斬りに数えられます。
その気性や圧倒的な腕前があったために、「人斬り」の印象を強くしてしまったのかもしれません。

中村半次郎は戊辰戦争では西郷の指揮のもと、数々の勝利をおさめる大活躍をします。
人斬りの異名を今に残すことになったのも、この時の活躍があったからかもしれません

大総督府として会津若松城を攻めることを命ぜられると、見事勝利します。
その際、会津城の明け渡しに立ち会った半次郎が会津の武士のことを想って男泣きしたという
エピソードも残っており、半次郎の情の深さ、優しさがわかります。
そのことを聞いた藩主松平容保は、半次郎に対して宝刀を贈っています。
武士らしい、男と男のエピソードです。

明治に入り、中村半次郎は桐野利秋(きりのとしあき)と名前を改めます。
陸軍少将、陸軍裁判所の所長を務めるなど、新政府で出世することになります。

明治に入っても半次郎は西郷と行動を共にします。
西郷が岩倉具視と大久保の説得に応じ、再度上京して政府に加わる際も共にしました。
明治政府と鹿児島のパイプ役のような存在になり、この時も西郷も大久保も半次郎のことを大い
に重宝しました。

しかし、征韓論の議論が起こって西郷が鹿児島に戻ると、半次郎も辞表を出して鹿児島に戻り
ます。
鹿児島では西郷の私学校で教育を担当します。

西南戦争が起こると4番隊を率いて戦います。最期の戦いでした。
戦場で銃弾を受けて戦死します。38歳でした。








後は写真と画像を見て判断下さい質問はわかる範囲でお答えしますので、入札前にお願いします。

発送はゆうパックの着払いです。

※注意事項※落札しましたら、登録のある教育委員会に名義変更届を出してください。
よろしくお願いします。

Auction Templates オクのミカタ [ヤフオクの出品テンプレートを簡単作成].


オークション情報 中古

落札価格 2,254,000
入札件数 395件(入札履歴
商品の状態 やや傷や汚れあり
発送方法 ゆうパック
発送地域 栃木県
終了日時 2024年3月20日 23時04分
出品者 刀剣武具屋さん評価
オークションID o1128507052

カテゴリ落札トレンド