22 x 185.5 センチ (全体)
軸先:木
※全体サイズは表具の端から端のサイズです。軸先部分は含みません。
※商品・軸先の状態につきまして下記【重要なおしらせ】項目をご一読お願いいたします。 紙本(印刷ではなく、描かれている作品です。)
【上村彦之丞】1849-1916 明治時代の軍人。明治12年海軍少尉に任官。日清戦争には秋津洲艦長として出征。海軍教育本部長をへて第二艦隊司令長官となり,日露戦争では蔚山沖でウラジオストク艦隊を撃破。43年大将。68歳。薩摩(鹿児島県)出身。海軍兵学校卒。
【築山清智】 邦太郞。東京府士族築山清風の長男。元治元年五月二十日生。明治十三年海軍兵学校を出、同十九年海軍少尉に任せられ海軍大尉に至る。浪速艦分隊長筑波艦分隊長愛宕艦分隊長橫須賀水雷隊攻部艇長迅鯨艦分隊長兼教官を経て、海軍大学校に入り高雄艦水雷長高千穗艦砲術長海軍軍令部第二局々員海軍軍令部牒報課課員となる。同三十年少佐に陞進し令海軍軍令部第三局員となり西班牙領馬尼刺へ出張を命せられる。同三十二年吾妻艦廻航員として佛國へ出張し軍中佐に進み須磨副艦長竹敷要港部第一水雷艇隊司令官高砂副艦長吾妻副艦長橫須賀鎭守府副官佐世保水雷団長崎敷設隊司令官八重山艦長千早艦長第十一驅逐隊司令官叢雲驅逐艦長より軍大佐に陞り千代田扶桑壹岐肥前笠置吾妻常磐筑波各艦長橫須賀海軍工廠官を検査官を歴て大正二年三月軍に少将に陞任し予備役に編入。
【大槻龍治】1863-1927 日本の官僚、鉄道実業家である。宮城県出身。1890年に帝国大学法科を卒業した後に農商務省に入省し、1902年には参事官に任じられた。神奈川、京都、鳥取の各参事官、大蔵省主税官、長崎税関長などを歴任し、1905年に大阪税関長に就任し、1913年6月に熊本税務監督局長に就任した。 1915年から1927年までに大阪電気軌道社長を務め、債務の整理を行い、建設費の高騰で苦しんでいた大軌を再建した。
※付属品につきまして 商品は画像に写っている物が全てになります。 木箱、タトウ箱などの有無につきましても画像をご覧いただき御判断お願いいたします。
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